ura profile

◆今井 リョータロー

ブラジルでは「タロー・ナカジマ」と呼ばれている。
「Ryotaro」は発音しにくく、「Taro」に。。。
そして、しゃべりまくり早口だからF1ってことで中嶋悟選手から「ナカジマ」になりました。。。
 
このウラProfile、ま、こんなヤツか、って読んでやってください。

1. 亮太郎、ピアノをやる の巻
   (0歳~20歳くらいまで、か?)

なんだかさぁ、ピアノなんかいつマジメに始めちゃったかよくわからないんだよなぁ。 おれにとってピアノは「おもちゃ」だったわけ。 たまたま家にピアノが置いてあって、暇なときに触る、みたいな。

そもそも小学校の時とかピアノ嫌いだったんだよねー。
7歳くらいのときに、恩師である片倉義人氏にピアノを習い始めたけど、結局続かず、バイエル(最も初歩の教則本ね)も終わらず…すぐ断念。。。気づいたらピアノやらないで打楽器を叩いてた(笑)
(やる気がなくピアノ断念したのにもかかわらず、
打楽器やらせてくれり、怒らずに放任主義でいてくれて、
音楽の楽しさを教えてくれた片倉先生には、ホント感謝!!)

ってか、ピアノは「女の子がやるもんじゃ!」って勝手に思ってたしね(笑)

ピアノは嫌いだったが、なんか音楽自体は好きだった。

小学校ではリコーダーとかピアニカとかフツーに派手ではない楽器が好きだった。
…いやいやいやリコーダーとかピアニカをバカにしてるんじゃないッス(スイマセン)
リコーダーもピアニカも素晴らしい楽器!!おれも実際、ライブの時とか鍵盤ハーモニカやるし。

…さっそく脱線、脱線…ハイ戻りマース。

…ほら、小学校の時とかの音楽の授業で、なんか「合奏」とか言うと、 みんな木琴とか鉄琴とかアコーディオンとか小太鼓とか大太鼓とかやりたがるでしょ?
おれはシブく「ピアニカやりてぇ」「リコーダーがいいぜー」みたいなガキだったわけ。 ピアニカ隊長とかリコーダー隊長になるのが好きだったんだよねー。
ま、そんなわけで小学生くらいまでは音楽やるのは好きだが、ピアノはまるで好まない少年だったわけさー。

んでね、中学校くらいの時にたまたま父親が買ってきたジャズのディズニーの曲集みたいの聴いて、初めて「うわっ、ピアノってかっけーな~!」な~んて思ったんだ。
そんでもってそこからは自分で和音(コード)覚えて、あとは耳コピみたいな。
そんなことばっかやってたら冒頭に言ったピアノが「おもちゃ」な状態になっちゃった。

それからはまさに「おもちゃ」状態で、 家に帰ってきたらとりあえずピアノで一曲なんとなく弾いて自分の部屋に行く、 また夕飯食うためにリビング行ってメシの前に好き勝手に一曲みたいな・・・。
でも全然ピアニストになる気なんてないから、基礎練みたいな練習はしないんだよねー、全く。 …てかピアノの基礎練がわからんかった(バイエルか?笑)
自分が弾きたい曲だけ、てか弾ける曲だけ弾いてるんだよ、テキトーに。
楽譜なんて耳から入ってるから当然読めないし。
(今でも楽譜にはめっぽう弱い!!タスケテー!!)

なぜピアノが「おもちゃ」かって?
だってこどもはさー、「おもちゃ」で遊ぶときに遊ぶ練習なんてしないでしょ?遊ぶのに目的なんてないっしょ?つまんなくなればやめるし、他人なんて関係ないから好き勝手に遊ぶし。
ピアノはおれにとってまさにそんな感じ。
だから練習なんてやってないし、練習って感覚わからないから、 (なんて不届きな…)
うまいかどうか、うまくなってるかどうかも全くわからなかったんだよねー。

ピアノよりむしろマジメにやったのは打楽器で、こちらでは本当にプロになりたいと思ってた!それで、ラテンパーカッションでは恩師である片倉義人氏(打楽器が専門ね・笑)についてかな~りやった。
高校3年間は吹奏楽でみっちり打楽器やって。
そうそう、大磯高校での3年間の吹奏楽部の思い出はなかなか宝物だなー。 すっごい部活に燃えてたなぁ。仲間もたくさんいたし、一生懸命一つのことに取り組んだし。 毎日が充実してたね。その時の環境と仲間にはホント感謝だね。
あのときがあるから今がある…ジーン…。

…ハイ脱線。話戻ろ~。

打楽器の話ね。
打楽器はホントものすごく練習したんだよね。
プロの打楽器奏者になりたい!っていう目的・夢もあったし。
まさに朝から晩まで!
修学旅行やイタリアへの家族旅行まで練習道具持っていって練習したもんなぁ。
 (今じゃ考えられん…そんなやったら死んじまうってばよ・笑)
…でも結局は自分を信じ切れなくて、悩んだけど結局フツーの大学に進学したわけさ。

あ、おれはこうみえても教育学専攻なんですぞ。
日本大学文理学部教育学科卒ッス。マンモスマンモス♪

ハイ、脱線…でもないか…

教育学は音楽の次に勉強したいことで、それで大学行ったんだよね。
大学に行って本とかたくさん読んで勉強した。
                     
でもさ、高校生の時の打楽器を一生懸命やっている燃えている自分が自分の中にいて、どうしてもそれを追ってるんだよね。
大学の帰りの中央線の新宿-東京間で車窓から都会の夜景を見て思ったんだ。
「このままおれはこの都会の夜景の背景になって行くのかなぁ。」ってね。
そんで、「いやいやいや、それじゃいかんだろー!」って次の瞬間思ったわけさ。
「人とは違うビッグな人間になりたかったんじゃなかったか?」
「敷かれたレールの上歩いていくの嫌いじゃなかったか?」
そう思って、
「やっぱりダメでもやりたいことやろう!やってダメならその時考えりゃいいだろ」ってね。
自分にうそはつきたくないし後で後悔はしたくないからね。
そんでやっぱ音楽やろうと思ったわけ。

でもおれに何が出来るんだろ?って考えたら、打楽器はその時すでに本当の難しさ知ってたし、無知なおれは、「ピアノなら何とかなるんじゃないの?」 な~んて思ったわけ。
(なるわきゃねーじゃん!笑)
知らないって怖いよね~~、練習の仕方も知らないド素人がプロ目指すんだもんな(笑)
まぁ、それで半年くらい色々なトコ当たったら
たまたま平塚のBarで弾けることになってね。

それからだよ、なんか気付いたら、プロとしてステージに立っててさ。
まぁ、人間何がどう転ぶか分からないよね~~(なるわきゃ…なっちまったわけ・笑)

2. 亮太郎、ブラジル音楽をやる の巻
  (1999年~2003年くらいまで、のハズ?)

ピアニストとしてステージに立ちはじめた最初のころは、Jazzを中心にやっていた。
おれが影響を受けたJazzピアニストに、レッド・ガーランドやウィントン・ケリーがいる。
Jazzでも難解な感じのはあまり好きじゃなくて、(た、単純な人間なんで…)
シンプルでかつグルーヴィーなのが好きだったんだよね。
だからレッド・ガーランドやウィントン・ケリーみたいなシンプルでわかりやすく、とてもグルーヴィーなピアニストをたくさん聴いて、そんな感じの演奏をしてたなぁ。
あとは古ければ古いほど好きで、20年代とかのJazzもよく聴いていた。逆に時代が新しくなるとあんまし好みじゃなくなるんだよねー。

ま、そんなわけで、20歳くらいの時、ステージに立ち始めたころは、そんな感じのJazzばかりをやっていたのだ。
 (しかもカッコから入るおれは、 必ずスーツにサスペンダー、帽子というスタイルで演奏していたのだ・笑)

もともとブラジル音楽は大好きだったんだよねー。
中学生くらいのころにジョビンの名盤「Wave」をたまたま親が買ってきて、おれは毎日そればっか聴いてた(ポップス・歌謡曲はあまり聴かんかったなぁ。)
あと、渡辺貞夫さんの「Elis」というリオデジャネイロ録音のアルバムが大好きで、それもよく聴いていた(これはあとでスゴイことがわかるのだ・笑)
それと、高校で吹奏楽やっているときに、たまたま吹奏楽部で「Tristeza(トリステーサ)」を演奏するってことで、ホンモノが聴きたくなって、ブラジル音楽集みたいなCDを2枚買ったんだよね。
これもよく聴いていた。゙
…この曲集は、あとになってわかったが、ピシンギーニャ、カルメン・ミランダ、ジャコー・ド・バンドリン、ルイス・ゴンザーガ、ジョビン、ミウシャ、マルチーニョ・ダ・ヴィラ、アルシオーネ、ベッチ・カルヴァーリョ、ミルトン・バナナ・トリオ、ガル・コスタ、ジョアン・ボスコ…などなどブラジル音楽の昨今の超強力な歴史的音楽家たちばかり入っていた!!

…ハイ、脱線、興奮してしまいました。。。戻りマース。

ってな具合に、ブラジル音楽はもともと好きで、当時は、中でも特にワルター・ワンダレイっていうオルガン奏者が最も好きで、ピアノでワンダレイのマネばっかしてた。
今もその名残あるっしょ?

ま、とりあえず、Jazzを弾いていたおれは、フツーのJazzプレイヤーがJazzの曲目の中にBossaNovaをやるように、当然BossaNovaの曲も弾いていたわけ。好きだったし。

しかし、BossaNovaの曲をやればやるほど、ワンダレイのマネをすればするほど、おれが気持ちよいと感じるBossaNovaとはかけ離れていることに気づいたんだよね。

アメリカも日本も含めて、JazzプレイヤーがやるBossaNovaと、ブラジル人がやるBossaNovaがまるで違う!似て非なるもんだ!!
(Jazz Bossaも音楽として成立しているし否定してるわけじゃないっすー。。。)

なにが違うんだぁぁぁぁ~~~!!!

そんな時に、今でもお世話になっているおれがJazz時代から出演させてもらっている藤沢のライブハウスINTERPLAYのマスターに、
「オゥ今井ィ~、おまえBossaNovaとか好きだろォ~。
今夜強力な超一流のブラジル音楽の人がウチに出演するから聴いてみたらいィ!」
って言われたんだよね~(笑)

じゃぜひ、ってことで、聴いてみたら、こりゃスゴイ!!!本気のブラジル音楽だ!
生でこんな本格的なの聴くの初めて!カックいい~~!
見た目はかな~り強力なオジサンだが演奏もマジすげぇなぁ!!!

…この時の演奏者が大御所・加々美淳さんだった。

実は加々美さんをおれは中学生のころTVで観てたんだよね。
羽田健太郎さんと「音楽は恋人」って番組やってて、Jazzやフュージョン、ラテン、ブラジル音楽などが好きだった亮太郎少年は、この番組を観ていたのだ。
しっかしこの時は「XACARAの加々美淳」として出演していたので、(それにこの時のさらに7~8年前の話だもんねー笑)
INTERPLAYで加々美さんを見たとき、「どっかで見たことあんなぁ~」って思ってたけど、ピンとこなかった。

んで演奏終了後、加々美さんとお話したら、「XACARAの…」ってことがわかって、「おぉぉぉ~!!あの!!!」ってなったわけ!

加々美さん 「そう、XACARAは僕のバンド。」
亮太郎    「え~~!だから見たことあったんだ~!
        TV出てましたよね~」
加々美さん 「うん、音楽は恋人って番組とかやってた」
亮太郎    「!!! 加々美さんっ、おれ観てましたよ~、
        音楽は恋人!!」
加々美さん 「…え?それって今井くんが何歳のころ?」
亮太郎    「中学生くらいッス!!」
加々美さん 「・・・」
亮太郎    「あれ?どうしました?」
加々美さん 「そんなに歳違うのかよ~、ショック…」

ってな具合な出会いだったんだけど、このときに加々美さんに聞いてみたんだよね、「なんかJazzプレイヤーのやるBossaNovaと、ブラジル人のやるBossaNovaって似て非なるもので全然違いますよね~?」って。加々美さんはブラジル人のやるBossaNova・Sambaだった。

そうしたら、加々美さんが教えてくれた。
ブラジル人にはブラジル人にしかないブラジル人特有のノリがある。日本人にも日本人なら誰でも当たり前に持っていて、他の国の人たちが持っていないノリがある。それと同じことだ、と。だからブラジル人のやるBossaNovaはまるで違う風に聴こえるんだ、と。そして、ブラジル音楽を本格的にやるならば、その日本人は持っていないブラジル人特有のノリを身に着けなくてはだめだ、と。

…なるほど、とっても納得が出来た。

…同時に、かつて高校生のころ、キューバ系のラテンパーカッション…ボンゴとかコンガを真剣にやっていたおれが、なぜラテンパーカッションは無理と思ったか、これもこのとき納得できた。(1.の巻きでちょい触れたよね)
高校生の真剣に打楽器をやっていたある日、とある教則ビデオを手に入れたんだよね。それにはキューバ人のうさんくさいオッチャンがコンガ叩いていて(きっとスゴイ人だったんだろうと思うケド・笑) あれだけコンガをやっていたおれが、オッチャンが映像に映っているにもかかわらず、聴こえる音と映像とを観て、オッチャンが何をしているかまるでさっぱりわからんかった。
そして、「ああ、この楽器で世界を目指すってこのレベルになることかー」って思って、ラテンパーカッションは断念して、フツーの大学にいったんだよね。
…そう、あの時さっぱりわからなかったのは、「キューバ人特有のノリ」だったんだね。

…またまたまたまた脱線しましたが、…戻ります…ハイ。。。

ブラジル人にはブラジル人にしかないブラジル人特有のノリがある。だからブラジル人のやるBossaNovaはまるで違う風に聴こえる。
そして、ブラジル音楽を本格的にやるならば、その日本人は持っていないブラジル人特有のノリを身に着けなくてはだめだ。
これが「JazzプレイヤーのやるBossaNovaと、ブラジル人のやるBossaNovaは似て非なるもの」の答えなわけ。

そんなに難しい音楽だったのか!!!BossaNovaって!!!!ならば簡単には出来ない。簡単にやってはいかん!

おれはとことん追及しなきゃ嫌なタイプで、どうせ外国の音楽やるなら、その国の人と対等に演奏できて始めてスタートラインだと思う。
逆に、例えばブラジル音楽をやっていて、ブラジル人が自分の演奏を聴いた時に「そんなんブラジル音楽じゃないヨ」って言われるのがおれにとって一番恥ずかしいし、そんな自分の音楽を「ブラジル音楽です!」って胸張っていえない。その国の人や文化に対しても失礼になる。高校生のときにラテンパーカッションが難しいと感じたのもこの点だった。

「…ならとことんやってやろうじゃん!高校の時みたいにあきらめんぞ!おれはブラジル音楽好きだし、興味あるし、もっと知りたいし、ホンモノのBossaNovaを演奏してみたい!ホンモノのブラジル音楽をやって、ブラジル人たちと対等にブラジル音楽をやりたい!」

ブラジル人特有のノリを、ブラジル人ではないブラジルとは反対の地球の裏側のおれがつかむ。
これは途方もなく難しいことだけど、なんとかやってみたい!

こうしておれはブラジル音楽のピアニストとしてやっていくことを決心したのだった!!!

本格的なブラジル音楽をピアノでやる。
これはなかなか難しいことで、ブラジル音楽はギター中心に発展してきた音楽だから、当然ヒントは少ない。
ブラジル人特有のノリ=グルーヴをつかむために、Sambaのダンスをやってみたり、Sambaのギターのフレーズを無理やりピアノで弾いてみたり、いろんなことをしたねー。
もうはっきり言って音楽の全てを0からやり直し、みたいな感じだったなー。
でも大変だけど充実していた!この先にブラジルがあることが見えていたから。
彼らと一緒に演奏して、日本にもホンモノのSamba・BossaNovaが出来るピアニストがいるって思わせたい。
そのパスポートを手に入れるための練習・研究だったから、
めっちゃ充実していたし楽しかった!

そんな研究をしていたある日、加々美さんからあのXacaraに誘われたのだ!

おれが少年のころTVで観ていたあのグループにおれが参加する!??
いや~ビックリしたねー。
あのときのおれのレベルでXacaraに誘ってくれた加々美さんにはホント感謝!!

Xacaraではとても大きな責任を感じることが出来、とても素晴らしい経験をたくさんさせてもらったよ。日本のブラジルシーンを支えてきた伝統あるXacaraに参加させてもらうことによって、おれは、自分が絶対にホンモノのブラジル音楽を伝えられるようにならなくては、とより強く実感したんだ。

Xacaraでやるようになって、やはり少年のころに聴いていたラテンピアノの松岡直哉さんのCDの中で、最も好きな曲に入っていたブラジル人大御所パーカショニスト ダミオン・ダ・クイーカとも演奏させてもらったりして、本当にたくさんの経験を積ませてもらったなぁ。

そして…
日本でブラジル人たちと演奏する機会が増えれば増えるほど、また疑問がわいてくる。

彼らとおれとは、そもそもリズムの感じ方が根本的に違う!
あれだけやってきたけど、やっぱりおれとは何か違う。
これ以上ブラジルを身に着けるためには…、

…そう、
ブラジルに行くしかない!

ブラジルに行って、ホンモノのブラジルを見て聴いて食べて踊って感じてこなければ、絶対にこれ以上つかめん!!!

こうして2003年、はじめてブラジルに行ったんだよねー。

まだまだつづく…(だってまだはじめてブラジルに行くトコまでだもんねー)
まだまだ気まぐれ加筆中ッす…お楽しみに~☆

…ってなわけで、

おれはきっといい出会いを多くしているんだろうね。
恵まれているのだと思う。
いい仲間といい環境に巡り会えたからこそ今があるんだよね。
やっぱりブラジルが、ブラジル音楽が好きだし、自分の故郷である湘南が好きだし、そして結局ピアノが好きなんだよな。
そんなわけで、毎日ホント楽しくピアノ弾けてます!

まぁでもきっと、おれが毎日楽しくピアノ弾けてるのは、ホントはおれの力じゃなくて、 みなさまが自然とおれに力を貸してくれるからだろうな。
みなさまホント感謝してます!!
ありがとう!!
こんなおれだけど、みなさま温かく応援してやって下さい!
おれはもっともっと上を目指しまっす!!!
よろしくッス!!

…あ、これ裏プロフィ-ルだったよな・・・。
なんかただの語りだな、これじゃ。
しかも小説調の…
まあいいか。
「ウラ」だし。

そんなわけで、今井亮太郎でした~~~!

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